最近、
不機嫌モードを露わにするようになりましたっ。

ここでは自分の城、自分のブログだからこそ
言いたいこと、思うことをつらつら書いているけど
普段は、小心者なので、嫌なことがあっても
どうしても反射的に作り笑いしてしまって

後から自分を責めたり後悔することが
すごく多かったのですよ。

怒らない人はナメられる

でも、それだと
モンドさんは怒らない
(都合の)良い人だと思われるだけなのね。

当然、とても不本意。
どんどんサンドバッグ、便利屋扱いされるし。

「この人にはこのくらい言っても平気」
「この人は怒らない、ニコニコ引き受けてくれる」って、見下される。

顔に出さないだけ
怒っていないわけではない

怒らない、怒れないだけで
内心はムカついてるわけだしね。
決して、本当に怒っていないわけではない。

わたしにだって痛覚はあるし、
怒りの感情もある。

なぜかわがままな人ほど許される

しかも、
他の人はグチとか平気で言ってるのに
(普段「良い人」の)わたしが同じようなこと言うと
「(モンドさんは良い人なんだから)そんなこと言っちゃダメだよー。他の人だって大変なんだから!」
とか、謎に叱られたりするのね。

人の言う事を黙って従うほうが
実はラク

だから、場の空気乱す思いしてまでネガティブな感情露わにするより
作り笑いして溶け込むほうが簡単にできてしまう。
波風立てないし、誰にも口ごたえされないから、ラク。

けど、いつまでもそれやってたら
ずっとそれやらなきゃいけなくなる悪循環。

後々のこと考えたら、
今この瞬間NOを出せば
それ以上、人は入り込んで来なくなる。

「NO」を言うと出てくる
罪悪感と怖さと向き合う

ということを、頭ではわかっていながら
なかなか実行できずにいましたが…

いい加減実行しよう!
少しずつだけど、意識的にやっています。
罪悪感や怖さを感じながら。

実行する度に
嫌われるんじゃないか、ダメなことしてるんじゃないか
自分冷たい奴だな…↓って
罪悪感を感じるし、怖くなる。

怖くて当然なのかもしれない。
今までずっとできなかったことなのだから。

湧き出た自分の感情を許可する

でも、その罪悪感や、怖いと思っていることすら
許可して丸ごと受け入れる。

わたしは今ムカついてる。
いやだと思ってる。
やめてほしいと思ってる。
やりたくないと思ってる。

その湧き出た感情を、なかったことにするのは
自分の存在価値を否定しているようなもの。

湧き出た感情くらい、大切に扱おうよ。

自分の感情は自分しかわからないから
大切に扱ってあげられるのも、自分しかいない。

怖いと思ってもいいから
怖くて当然だから
怖さから逃げないで、自分を優先してあげる。

その場しのぎで負の感情をこらえて
その先ずっとナメられるのではなく、
(一時的な不快や恐怖をこらえて)
不快をそれきりにする。

具体的にどうやって
負の意思表示をするか

  • ムカついたらわざわざ笑わない
  • 話したくない人と社交辞令で話さない
  • だらしない挨拶や失礼な対応をされたら無視
  • 不快を感じた内容に筋が通っていたら
    クレームを入れたり通報する

それで、立てついてこられたら、
「わがままを言って申し訳ないですが」と
クッション言葉で前置きすれば良い。
こちらが悪者になって、クレーマーになってあげればいいわけだ。

たった一時、悪者・腫れ物になって済むなら
そのほうが自分のためだ。
そもそも悪いことしていないのに、謝る必要すら本当はない。

他人の「NO」は許されている

改めて書いてみると
他の人がこういうこと↑してても
悪いことしてるは思わないはず。

いますよね、クールな人か
秒で「イヤです」とサクッと断れる人って。

だから、そこまで大げさに怯えることじゃない。

不機嫌をあらわにして
起きた結果

そして今のところ幸い、
大きなトラブルや不都合は起きていません。

むしろ、上から目線で接してきた人が
態度を変えて謝ってきたり、急に下手に出てきたこともありました。

きっと、「この接し方でいい」と思い込んで疑わなかったのが
急に覆されたからでしょう。

よほどの人でない限り
正しく伝えれば、改まります。

伝えないと相手には伝わらない

いやなことがあったら、不機嫌になるのが人間。
(無関係の人に八つ当たりするのではない)

感情を飲み込むのが立派な社会人と言わるけれど
多少なりとも不機嫌を表さないと
相手にはイヤだと思っていることが、永遠に伝わらない。

むしろ、そもそもそういう失礼な扱いができるような人の場合
人のことを察していたわるなんて能力、まずないでしょうから
気付かないどころか、喜んでいるとすら思われてしまったりします。

「いつも笑顔」が求められるのは
相手にとって都合がいいから

「どんなことがあっても、常に笑顔!」
そんなのは、都合よく人を奴隷扱いしたい
組織のトップの自分本位な言い分

彼らにとっては、(負の)感情がないほうが都合がいいし
「奴隷に慕われている俺様(女性かもしれませんが)」を味わいたいがために
自分たちのご機嫌取りをしてほしいのだから。

そう考えると、笑顔や従順を強制するというのも
一見正当性があるようで誰かのエゴなわけです。

愚痴と不満はちょっと違う

体調が悪ければ万全に動けないのと同じように
モンドさん今日機嫌悪そうだなぁ、くらい
わかってもらえても、本来は良いはずなのだ。

あ、ちなみに
「察して心配してほしい」というのとはちょっと違います。

心配してほしいなら
さっき〇〇があって、ムカついてるの!!とか
今日なんかダメだわ…と愚痴を言えばいいのです。
あなたに怒ってるんじゃないよ、と。
(そして、愚痴を聞いてくれた人に感謝しましょう)

ポジティブしか受け入れられないなら
その人を知ったことにはならない

光に満ちてる部分は、誰だって愛せる。
受け入れてくれる。

だけど
光も影も合わせて、人間で
光しか愛せないなら、それは、愛ではない。

影の存在を見て見ぬフリして隠そうとするほど
自分じゃなくなっていく。

自分の弱さを自分で守る

影を認めて受け入れると、時には
自分、こんなこともイヤなの!?
こんなことも無理だったの?と
自分の弱さ、キャパの狭さに気が付くこともあります。

そんな、弱くて情けない自分をも守ったとき
うまく言えないけどほっこり感動するのね。

自分に守ってもらえた安心感。
自分を守れた達成感。

ネガティブを受け入れられて
初めて感謝が生まれる

そして、その弱さやわがままを
「自分由来のもの」だと腹をくくって、
嫌われたり否定されることを覚悟して、少しずつ自己開示する。
これが本当の自己責任。

そこで初めて
そんな小さな自分のわがままを受け入れてくれた
相手への感謝が生まれる。

言っても大丈夫だった
断っても大丈夫だった
イヤな顔したらこちらの意図を汲んでくれた、と。

否定されるかもしれない分
感謝がより身に沁みる

もちろん、そうならない時もある。
だからこそ、「そうならないかもしれない」こそ
それを受け入れてくれた相手に感謝が生まれる。

感謝とか笑顔とかって言葉は
(自分の意思に関わらず)無理矢理作らなきゃいけないもの
というイメージが先行して嫌いなのですが

本来はこういうものなのかもなぁ…
と、少しずつ思うようになりました。

笑顔だの感謝だのって、
自然に湧き出てくるものであって、人に強要するものじゃない。
笑顔しか受け入れてくれない相手に
本来、感謝なんかしなくていいんです。

今日はここまで。
まだまだ実験は続けていきます♡

※旧ブログ記事を再掲

記事の内容について

この記事は医療従事者が執筆していますが、あくまで個人の経験・体感をもとに書いたものであり、特定の疾病の診断や治癒、すべての方へ効果効能を保証するものではございません。
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Author この記事を書いた人

モンド

不規則な食生活をきっかけに体調とメンタルがボロボロになった経験から、食が体に及ぼす影響の大きさを実感。
栄養医学を学んで、自分の体で試行錯誤しながら実践した体験記をブログにご紹介しています。本業は医療従事者。

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